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はつかねずみは何処へゆく

「どんなときも遊び心」がポリシーのWEBクリエイター・津上夏哉のブログです。

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どうすれば「◯◯節」と言われるようになるか

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■ごきげんよう、津上です。週末は部屋の片付けが趣味です。

 

■小説で「◯◯節」といえば、森見節など色々なものがあるでしょう。物書きである以上、一度は「津上節」などと言われてみたいものですが、さてそのためにはどのような手を尽くせば良いのでしょうか。ここは前述した「森見節」の一端を読み解くことによって、何かしらの答えが導けるのではと思っています。

 

とはいえ、ぼくは森見登美彦といえば「夜は短し歩けよ乙女」をさらっと読んだ程度。にわかもいいとこです。「わたし漫画オタクです! 好きなマンガはONE PIECEです!」みたいなものです。関係ありませんが、ぼくはこの台詞のあとに「好きなやり取りは空島でゾロとブラハムが見せた『飛ぶ斬撃を見たことがあるか?』『戯言だ!』です」と付ければなるほどと評価します。

 

■で、ネットの海に放流されていたところ、森見節について程よく綴られていたブログ記事を見つけましたので、そちらを引用してご紹介。

 


■該当記事しか拝見していませんが、こちらの筆者さんは森見登美彦がお好きなよう。ならば大分詳しいだろうと、ところどころ掻い摘んでみます。

 

森見登美彦さんは、一言で言うと、“京都の阿呆学生のことばかりを書く”作家さんです。
一部、そうでない作品もありますが、基本のスタイルがここまでどの作品も一緒というのは
作家のなかでもいないのではないでしょうか。
(「阿呆」という単語は、僕は使いませんが、森見さんが使うので使います

 

お、早速それっぽいヒント。

この作家が◯◯という単語を使うので、私もその単語を使うようにしているというのは、ファンの間では当たり前のことなのでしょうか。そうなると熱心な米澤穂信ファンはいつも心のなかで「さいですか」と呟いているのかもしれません。参考にしなければ。

 

兎角、あまり見慣れない単語、もしくは特徴的で目を引くだろう単語を頻繁に用いるということは、作家の個性となりうるのかもしれません。

 

■で、もうひとつ引用。

 

“美人が飲み過ぎで吐いて、熊が川に落ちる”という話を、
ここまで豊かに面白く書けるものかと、笑いながらも感動しました。
「美しくそろりと吐く」とはどんなんだ!
「最後のひと花を咲かせた熊の可愛さ」見てみたい!
この部分だけでも、このシーンの虜になってしまいます。

 

記事を読んでいただければ、実際の文章が引用されているのでわかりやすいと思います(ステマじゃないです。この人はさっき初めて知りました)。『四畳半神話大系』はこんなふうに全編が面白おかしく描かれているのでしょうか? 昔ナナメ読みした時はそんなことに注目すらしていませんでしたので、まったく気づきませんでした。

 

ここから読み取れるもうひとつのコツは、自分だけしか思いつかないような表現をこれでもかと使うということでしょうか。たしかに「そろりと吐く」なんて文章は書いたことありません。嘔吐を「美しく」と表現することすら稀です。

 

自分で考えて、文章を書く。これはコピペライターでもない限り当たり前ですが、「◯◯節」を装備するためにはさらに「他の作家では思いつかないような表現を巧みに効果的に使用する」ことが大事なのでしょう。うーむ、言うは易し行うは難し。それができれば苦労することはないのです。

 

で、結局どうすればいいんですか

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■簡単にまとめると、読者のファーストインプレッションを掴むには「普段目にしない単語」「他では見かけない独特な言い回し」が必要となってくるでしょう。これ自体は何を今更という話です。問題はこれを鍛え上げるにはどうすればいいの、という話です。軽く考えてみましょう。

 

■まず、普段目にしない単語をうまく使う方法。これはもう語彙力をめきめき上げる他に手段はないと思います。

で、人と同じことをやってもきっと効果はありません。人と同じだけの語彙力が身につくだけです。ならば、より自分向けに特化したジャンルの単語を身につければよいのでは? 官能作家などはそうしているはず。

 

たとえば童話的な作品を書いているなら、児童文学でよく使われている表現を抜き出してみて、自分なりに表現し直してみるとか。ぱっと思いつきませんが、「既にある表現を自分なりに再翻訳してみる」というのは重要な気がしますね。

 

少し話は逸れるのですが、B'zの稲葉浩志は作詞する時に歌詞を一度英語に置き換えて、そこから意味を選び抜き、再び歌詞に落とし込んでいくというのを聞いたことがあります。似たようなことを僕も一時期真似していました。実は結構効果的だったのかも。

 

■そして「他では見かけない独特な言い回し」ですが、これもたゆまぬ鍛錬が自然と浮かばせてくれるようになる気がします。いやダメだそれじゃ解決になってない。ちゃんと記事にしているんだから、ちゃんと考えてみましょう。

 

とはいえ、小説内のあらゆる文章が普通とかけ離れているというのも考えものです。森見登美彦だって三島由紀夫だって、「◯◯は言った」などは普通の表現をしているはず。ではどうすれば「こいつぁ素晴らしい! 津上節として記憶しよう」だなんて賞賛されるようになるのか。それはやはり、普通の文章も並んでいるなか「ここぞ!」という場面で独特な言い回しを引っ張ってくることなのかなと思います。

 

玉石混交とは少し違いますが、宝石だって石ころのなかに混ざっているからこそ綺麗に見えてくるというもの。色とりどりの宝石ばかりを散りばめてみたところで、人は宝石箱だなあ豪華だなあ以外の感想を持てそうにありません。だったら、砂利のなかにひときわきれいな紫水晶が埋まっているほうが映えるもんでしょう。

 

小説において、重要な場面というのはいくつもあると思います。主要人物が動きを見せた。異端が現れた。主人公の秘めたる力が覚醒した。そういった「ここぞ!」という場面で作家の個性を滲み出させるからこそ、読者に「おや?」と思わせることができるのかもしれません。周りが光っていないからこそ、より輝けるのです。

 

……多くの方にとっては当たり前のことなのかもしれませんが、文章の方向性がさまよいつつある自分への自戒の念も込めて、したためさせていただきました。

 

■はつかねずみがやってきた。それでは、また。